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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)2626号 判決

東京都杉並区荻窪三丁目七番二三-三〇二

原告

日下正一

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

被告

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

押切瞳

野崎悦宏

真庭博

波多野昇

石川新

東京都杉並区阿佐ケ谷一-一五-一

被告

東京都杉並区

右代表者区長

菊池喜一郎

右指定代理人

吉澤豊一

浅野秀治

秋山松寿

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1. 被告国は原告に対し、金四万一、二〇〇円及び内金一、二〇〇円に対しては昭和四三年五月二八日から、内金四万円に対しては昭和四九年三月三〇日からそれぞれ支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2. 被告東京都杉並区は原告に対し、金一、五四〇円及びこれに対する昭和四三年一二月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3. 訴訟費用は被告らの負担とする。

予備的請求として、

1. 被告国は原告に対し、金一、二〇〇円及びこれに対する昭和四三年五月二八日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

との判決

二  被告ら

主文と同旨の判決。

第二原告の請求原因

一  被告国に対する請求

1. 主位的請求(国家賠償請求)

(一)  原告は、所得税の確定申告書を青色申告書により提出することにつき所轄税務署長の承認を受けていた事業所得者(青色申告者)であるが、昭和四三年三月一四日、杉並税務署長に対し、昭和四二年分の所得税について次のような内容の確定損失申告書を提出した。

(ア) 収入金額 一六一万五、六二〇円

(イ) 必要経費 一二四万一、三八五円

(ウ) 繰越損失金額 七万六、五三五円

(エ) 所得金額 二九万七、七〇〇円

(オ) 医療費控除額 四万八、〇三五円

(カ) その他の各種控除合計 三三万〇、七〇〇円

(キ) 課税総所得金額 〇円

(ク) 税額 〇円

(二)  ところがその後、杉並税務署の職員は、昭和四三年五月二二日のみを指定して原告を同署に呼び出し、原告が過去に修正申告をしたことがなく、また修正申告用紙を知らないことを奇貨として、修正申告である旨及び修正申告書用紙であることを説明せずに、たんに税務署の事務処理に協力を求め、修正申告書用紙の裏面の所定欄に署名、捺印させ、修正申告をする意思のない原告をして、昭和四二年分の所得税につき、右(ウ)の繰越損失金額を〇円、(エ)の所得金額を三七万四、二三五円、(オ)の医療費控除額を二万九、三二四円、(キ)の課税総所得金額を一万四、〇〇〇円、(ク)の税額を一、二〇〇円と、それぞれ修正する修正申告書(以下「本件修正申告書」という。)を同税務署長に提出させたうえ、同月二七日右税金一、二〇〇円を納付させた。

杉並税務署の職員は、後記(三)の(1)、(2)の点を知り、又は知り得べきにかかわらず、修正申告をする意思の全くない原告をして修正申告書を提出させたもので、右は被告国の公権力の行使に当たる公務員の違法な職務行為である。

(三)(1)  繰越損失金額の有無について

原告は、昭和四一年分の所得税について、(ア)収入金額八二万六、三一七円、(イ)必要経費六七万七、八五二円、(ウ)必要経費とみなされる青色事業専従者給与額(原告の妻に対する給与額)二二万五、〇〇〇円、(エ)損失金額七万六、五三五円、とする確定損失申告書を提出し、翌年以後に繰り越される損失金額として七万六、五三五円があったから、昭和四二年分の所得税の申告の際、右金額を差し引いて所得金額を算出したことに何らの誤りもなかったのである。

所得税法(昭和四二年法律第二〇号による改正前のもの、以下(1)において同じ。)第五七条第一項ただし書、第二号の規定は憲法第一四条に違反するものであり、無効である。すなわち、所得税法第七七条第一項によれば、配偶者控除は一三万円であるのに、同法第五七条第一項ただし書、第二号は、当該控除対象配偶者が青色事業専従者として支給を受けた給与額については一三万円を下まわる金額(原告の妻の場合、七万四、二三二円)を算入限度額とするものであるから、法の下の平等に反する。

したがって、同法第五七条第一項第一号、所得税法の一部を改正する法律(昭和四一年法律第三一号)附則第三条第一項により、昭和四一年分の所得税について必要経費に算入される青色事業専従者給与額は、原告の申告どおり二二万五、〇〇〇円が正当である。

(2) 医療費控除額について

原告は、昭和四二年中に医療費として四万八、〇三五円を支払った。右全額が医療費控除の対象とされるべきである。

所得税法(昭和四五年法律第三六号による改正前のもの。)第七三条第一項は右のように解釈すべきであり、そうでないとすれば、同条項中、所得の合計額の一〇〇分の五に相当する金額を越える部分の金額についてのみ控除を認める、との規定部分は、低額所得者の保護を忘れたものであり、憲法第一四条、第二五条に違反し、無効である。

(四)  以上のような被告国の公権力の行使に当たる公務員の違法な職務行為によって、原告は次のような損害を被った。

(ア) 修正申告の意思のない原告をして本件修正申告をさせ、違法無効な同修正申告に基づき納付させた税額相当額の損害 一、二〇〇円

(イ) 昭和四三年五月二二日原告を税務署に呼び出し、そのため、原告は一日分の稼働利益を失った。その損害 一万円

(ウ) 精神的苦痛に対する慰籍料 五〇万円を超えるが、とりあえず、三万円を請求する。

したがって、被告国は、国家賠償法第一条第一項の規定に基づき、原告に対し右損害を賠償すべき義務がある。

(五)  よって、原告は被告国に対し、金四万一、二〇〇円及び内金一、二〇〇円に対しては前記損害発生の後である昭和四三年五月二八日から、内金四万円に対しては昭和四九年三月三〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延揃害金の支払を求める。

2. 予備的請求(不当利得返還請求)

(一)  仮に、右請求が認められないとしても、本件修正申告は原告の意思に基づかないものであるから無効であり、そうでないとしても、同修正申告は杉並税務署の職員の詐欺によってしたものであるから、原告は、民法第九六条第一項の規定に基づき本件口頭弁論期日においてこれを取り消す。原告が納付した税額は、不当利得として返還されるべきである。

(二)  よって、原告は被告国に対し、金一、二〇〇円及びこれに対する前記納付の日の翌日である昭和四三年五月二八日から支払ずみまで年五分の割合による還付加算金(又は民法所定の遅延損害金)の支払を求める。

二  被告東京都杉並区(以下「被告区」という。)に対する請求

1. 主位的請求(国家賠償請求)

(一)  東京都杉並区長は、原告の昭和四三年度分の特別区民税につき、本件修正申告書に基づいて税額を三、四〇〇円と変更し(既課税額一、八六〇円)、これに基づき昭和四三年八月一五日付納税通知書をもって、原告に対し、不足税額として一、五四〇円を追賦課してきたので、原告はこれを同年一二月二三日までに全額納付した。

(二)  しかし、公権力の行使に当たる公務員である杉並区長は、本件修正申告書による申告が前述の理由(前記一の1の(二)、(三)及び2の(一))により無効であることを知り、又は知り得べきであったのに十分な調査を尽さなかったため、漫然と右申告書の内容を基礎として特別区民税額の変更による追徴をして、その職務を行うについて原告に右追徴分と同額の損害を与えたものである。

(三)  したがって、被告区は原告に対し国家賠償法第一条第一項の規定に基づき右損害を賠償すべき義務がある。

よって、原告は被告区に対し、金一、五四〇円及びこれに対する前記損害発生の後である昭和四三年一二月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2. 予備的請求(不当利得返還請求)

(一)  仮に、前記1の(一)の点につき杉並区長の故意、過失が認められないとしても、前述の理由(前記一の1の(二)、(三)及び2の(一))により、本件修正申告は無効、又は取り消されたものであるから、これに基づく前記特別区民税額の追賦課は当然無効の処分であり、既に納付済みの追徴分は不当利得として返還されるべきである。

(二)  よって、原告は被告区に対し、金一、五四〇円及びこれに対する前記納付を完了した日の翌日である昭和四三年一二月二四日から支払ずみまで年五分の割合による還付加算金(又は民法所定の遅延損害金)の支払を求める。

第三被告国の答弁及び抗弁

一  主位的請求原因に対する答弁

1. 請求原因一の1の(一)の事実は認める。

2. 同一の1の(二)の事実中、杉並税務署の職員が原告に来署を求めたこと、原告が昭和四三年五月二二日に来署して同署長に本件修正申告書を提出し、同月二七日に同修正申告に係る税金一、二〇〇円を納付したことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件修正申告書は、同署の職員が原告の確定申告に誤りのあることを十分に説明して原告に修正申告書の提出を勧めたところ、同人がこれを了承して提出したものであり、同修正申告に係る税金一、二〇〇円も原告が任意に納付したものである。

3. 同一の1の(三)の(1)の事実中、原告が昭和四一年分の所得税についてその主張のような確定申告書を提出したことは認めるが、その余は争う。

原告の昭和四一年分の所得金額の計算上必要経費として認められる青色専従者給与額は、所得税法(昭和四二年法律第二〇号による改正前のもの。)第五七条第一項第一号及び第二号、所得税法の一部を改正する法律(昭和四一年法律第三一号)附則第三条第一項の各規定によれば七万四、二三二円が限度額であるから、昭和四一年分の所得金額は七万四、二〇〇円となり、翌年以後に繰り越される純損失はない。

なお、原告は右所得税法第五七条第一項第二号の規定が憲法第一四条に違反すると主張するが、同所得税法第七七条第二項の規定によれば、青色専従者給与として必要経費に算入される金額が配偶者控除額に満たない場合には、その満たない部分の金額を配偶者控除として所得金額から控除することが認められているから、原告の主張はその前提を欠き理由がない。

4. 同一の1の(三)の(2)の事実中、原告が昭和四二年中に医療費として四万八、〇三五円を支払ったことは認めるが、その余は争う。

原告は医療費控除の一定の制限が憲法第二五条に違反すると主張するが、医療費控除は医療保障の見地から設けられたものではなく、また、租税立法の当否が憲法第二五条違反の問題となりうるとしても、収入金額から税額を控除した後の生活にあてられるべき金額を問題にすべきであって、所得控除の一項目をとらえて右条項違反と主張するのは失当である。

5. 同一の1の(四)の事実は争う。

二  主位的請求についての抗弁

仮に、原告主張の損害賠償請求権が発生したとしても、原告は、本件修正申告書を提出した昭和四三年五月二二日に既にその主張のような損害の発生及び加害者を知ったというべきであるから、その後三年を経過した昭和四六年五月二二日の満了をもって、右損害賠償請求権は時効により消滅した。

三  予備的請求原因に対する答弁

請求原因一の2の(一)の主張は争う。

第四被告区の答弁及び抗弁

一  主位的請求原因に対する答弁

1. 請求原因二の1の(一)の事実は認める。

2. 同二の1の(二)の主張は争う。

杉並区長は、地方税法第三一五条第一号、第七三六条第三項の規定に従い本件修正申告書の記載に基づいて原告の昭和四三年度分の特別区民税の所得割課税標準を算定し、追賦課したものであるから、右処分を行ったことに何ら違法はない。本件修正申告書に過誤のないことは、被告国の主張のとおりである。

二  主位的請求についての抗弁

仮に、原告主張の損害賠償請求権が発生したとしても、原告は、遅くとも原告が追徴分の特別区民税を全額納付した昭和四三年一二月二三日にその主張のような損害の発生及び加害者を知ったというべきであるから、その後三年を経過した昭和四六年一二月二三日の満了をもって、右損害賠償請求権は時効により消滅した。

三  予備的請求原因に対する答弁

請求原因二の2の(一)の主張は争う。

第五被告らの抗弁に対する原告の答弁

被告らの主張事実はいずれも否認する。

原告が損害及び加害者を知ったのは、昭和四七年七月一日頃杉並区役所において、同区役所係員から本件修正申告が違法無効である旨の教示を受けたときである。

第六証拠関係

一  原告

1. 甲第一号証の一、二、第二号証から第四号証まで、第五号証の一、二、第六号証の一、二、第七号証、第八号証の一から三まで、第九号証の一、二及び第一〇号証の一、二を提出

2. 原告本人尋問の結果を援用

3. 乙第一号証の一、二の成立は否認する(ただし、同号証の一の住所、氏名の記載及び印影は、いずれも原告が記載あるいは押捺したものであることは認める。)。第二号証の成立並びに第三号証の原本の存在及び成立はいずれも認める。その余の乙号各証の成立はいずれも知らない。

二  被告国

1. 乙第一号証の一、二、乙第二号証、第三号証、第五号証から第九号証まで及び第一〇号証の一、二を提出

2. 証人黒部太吉の証言を援用

3. 甲号各証の成立はいずれも認める。

三  被告区

1. 甲号各証の成立はいずれも認める。

理由

一  被告国に対する国家賠償請求

1. 請求原因一の1の(一)の事実及び(二)の事実中原告が昭和四三年五月二二日本件修正申告書を杉並税務署長に提出したことは当事者間に争いがない。

2. 被告国の公権力の行使に当たる公務員である杉並税務署の職員に違法行為があったかどうかについて判断する。

原告は、修正申告をする意思がなかったのに杉並税務署の職員により本件修正申告書に署名捺印させられ、同申告書を提出させられた旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張にそう部分もあるけれども、成立に争いのない甲第五号証の一、二、乙第二号証及び乙第一号証の一の住所、氏名の記載及び印影は、いずれも原告が記載あるいは押捺したものであることは当事者間に争いがないので真正に成立したものと推認すべき乙第一号証の一、二並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は大学院において法律学を研究し、当時税理士として登録をしていたこと、昭和三九年頃から青色申告の承認を受けて青色申告をしていたこと、本件修正申告書提出当日、その控えを受領したこと、さらに同月二七日自ら右修正申告に係る税額を納付していること(この事実は当時者間に争いがない。)が認められ、これらの事実に加えて証人黒部太吉の証言により認められる当時の杉並税務署における一般的な事務の取扱い状況に照らすと、原告本人尋問の結果中前示供述部分は到底措信できず、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。かえって、右認定の事実によれば、原告は、杉並税務署職員の指導に応じて、修正申告書用紙であることを認識しながら、修正金額等が記入された右用紙の所定欄に署名、捺印し自らの意思に基づき修正申告をしたことが推認される。

原告は、昭和四二年法律第二〇号による改正前の所得税法第五七条第一項の規定が憲法第一四条に違反すると主張するが、同法第七七条第二項の規定によれば、控除対象配偶者がその年に受けた給与で青色専従者給与として必要経費に算入される金額がある場合に、その金額が配偶者控除額に満たない場合には、その満たない部分の金額は配偶者控除として所得金額から控除することが認められているから、原告の右主張はその前提を欠き失当である。

さらに、原告は、昭和四五年法律第三六号による改正前の所得税法第七三条第一項の規定が憲法第一四条、第二五条に違反すると主張するが、医療費控除は、所得控除の一項目にすぎず、その金額に所得に応じた一定の制限を設けているからといって、この条項をとらえ直ちに憲法に違反するものということはできない。

3. そうすると、杉並税務署の職員には何ら違法行為があったものとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく原告の被告国に対する国家賠償の請求は失当である。

二  被告区に対する国家賠償請求

1. 請求原因二の1の(一)の事実は当事者間に争いがない。

2. 原告は、杉並区長が本件修正申告の無効であることを知り、又は知り得べきであったことを前提として被告区に対し損害賠償の請求をしているものであるが、本件修正申告が原告の意思に基づいてされたものであることは前認定のとおりであり、しかも、右修正申告に係る納税義務が存しないとの原告の主張は、前示のとおり失当であるから、結局その余の点につき判断するまでもなく、原告の被告区に対する右請求は失当といわねばならない。

三  被告らに対する不当利得返還請求

1. 原告は、本件修正申告が無効であることあるいは詐欺によるものとして取り消したこと等を理由とし、同申告に基づき納付した所得税額及び同申告を基礎に賦課徴収された特別区民税は、いずれも納付すべき義務がなく不当利得として返還されるべきであると主張する。

2. しかしながら、前示のとおり本件修正申告が原告の意思に基づかないものであるとは認められず、また、杉並税務署の職員の欺罔行為の存在も認められない。のみならず、本件修正申告に係る納税義務が存しないという原告の主張が失当であることは前示のとおりであるから、原告の被告らに対する不当利得の返還請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当といわねばならない。

四  以上のとおり、原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 時岡泰 裁判官 山崎敏允)

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